現在、月1~2回ペースで通っています。精神科とカウンセリングです。
最初の発症からの病院ですが、最初の先生と現在の先生は違います。正直、最初の先生がすごく良かったのですが、期間勤務だったのか1年で別の病院に行ってしまったのです。1年経って私もちょうど復帰していたので、
「では、もう来ることのないようにがんばります」
なんて言って、さよならしたのです。
初受診の時、私は泣きながら話をしてほんと死にたかったのです。先生は優しくて、「がんばりすぎましたね。すごくちゃんとしているじゃないですか。○○さん、大丈夫です。まずは休んでください。入院してください。」と言われたのを覚えています。
そのまますぐ入院して、しばらくは天井を眺める日々でした。
何もしていなかったけど、すごく時間が経つのが早かったように思います。
すこし落ち着いてきたら先生との話も冷静にできて、いろいろ話していくことができました。そうしたら、
「いや~、すごいドMなんですね~。」
と言われ、「え!?」と思いながら笑ってしまいました。なぜなら私のドMイメージはこういうの。
その時に気づきました。
困難に飛び込んでいく、苦しまなければ道は開けない、苦労しなければ楽になれない、負荷をかけてやり抜く快感、できなくてもできなければならない、、、
なんか、気づいたらそういう思考だったなと。
教員だったけど、あんまり頭よくないんですよね。まわりの先生方は、ランクの高い高校出身な人ばかりだから、なんか見下されている経験が多くて、ずっと自分に自分で鞭打ってた感じでした。
そうしないと、同列には並べない、とか、必要とされない、とか思ってたんですよね。過去は変えられないのに。
まあ、何かを超えようとしてた頑張りで、自爆した自分に気づかせてくれた先生でした。
ほんと面白い先生で、
「僕なんて、スロット中毒でほんとダメ人間なんですよ。この後も行くんです。○○さんは、ちゃんとまじめに働いて立派じゃないですか。」と。
私から見るとよっぽど精神科医師として働いている先生のほうが立派だと思っている先生がそういうんです(笑)
そんな先生と話していると、「精神」という世界は面白いなと思いました。私もパチンコをやったことがあるので(しかも執着する性格なので)、やめられなくなる気持ちがわかります。そういうどうしようもなさを知っていると、患者に寄り添えるのかなとも思いました。本当の気持ちはその人にしかわかりませんが、それでも中毒性や依存症はそのものを経験することには勝りませんからね。だから私は、上っ面の物言いする人が大っ嫌いで、感覚でその人間そのものを察知してしまうのです。わかったようなことをいわれるのが、ほんとに嫌いなんですよ。でも、この先生は違っていて話を聞いていくれて、自分の不安なことを優しく受け止めてくれたのです。
と、前の先生の話をしましたが、今の先生は全然淡白です。
「嘘だよね?」っと思うくらい言葉かけがありません(笑) 変な話ですが、自分のほうがもっと気の利く言葉をかけられるかも、と思うくらい。
いやー、精神病んでいる人間にはきつかったですね。2回目の発症の時に行ったら、最初の時の先生とのえらい違いに、それはひどい不安を覚えて「もしかしたら私、こんどこそ死ぬかも」などど、思ったのです。
とにかく、鬱の人間には優しくないとダメなんだと思います。どんなに変でもわがままでも、すべてを受け入れてくれる大きな懐で待っていてほしいんです。
それがないと、たぶん無理なのです。
それでもまあ、いろいろ超えて今も通っています。今年いっぱいは通って、来年から精神科は卒業したいと思っているんです。カウンセリングは続けようと思っていますが。
長々と書きました。
今日は、夜の散歩をします。歩かなきゃね。
ではまた。
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