ああ、だめです。何もかもが嫌です。苦しいとか悲しいとか辛いとか全部です。涙が出ます。なんでこうなるんだろう、今、こうしているだけでつらい、幸せじゃあない。
ちょっとだけ落ち着いたから、ブログにします。
ほんとは昨日、リボン展に行ったことを綴ろうと思っていたのですが、疲れて書けなかったのと、今日は今日でメンタルがダメになって書けませんでした。
『鬱』という名で病気となりますが、何でしょうね、そんなひとくくりなことではないですね。ブログを始めてから、春先に1回だけ心が落ちて「危ないなー」と思ったことがありましたが、今みたいな心がうえ~んとなるようなことはなかったので、ちょっとつらいです。
今現在に至るまで身の上の詳しいことを書いていませんが、鬱が治ってきて幸せそうなことばかりを書いていたので、うまくまとめられないかもしれません。
私の出来上がった性格は、『我慢をする』ということが子どもの頃からの癖となっています。家庭環境が『父親絶対』なので、我慢を限界までし続けて生きてきたことが、大人になった今でも知らず知らずにそうなり、気づいた時には溢れるのです。それでも、子どもの頃は「死にたい」とは思わず、「絶対に家を出てやる」との思いが強かったので反骨で生きていました。しかし今は、なんでこの歳でも辛いのか、瞬間的でも「全てが嫌で死んでしまいたい」と思うところまで来てしまいます。
子どもの頃は、耐えて耐えて溢れ出そうでも耐えて、ちょっと動けばこぼれ落ちるというようなギリギリを過ごしていました。家庭内では針のむしろでした。父親は理不尽で偉そうで見栄を張る、そして酒にだらしない人です。内弁慶で最低な言葉をよく母親に言っていました。(もっと酷いことも多々ありましたが詳しくは書ける時が来たら書きます。)
ずっとそんな光景を見て過ごしてきているので、時が過ぎ成長とともに、自分の『正しい』『おかしい』と感じることは、かなりはっきりしているんです。人を罵っている、見下している、バカにしているなどは、この経験から誰よりも敏感に気づいてしまうし感じてしまうんです。そして、ついに溢れて私が自分の意見を言う時は(反論というか正当に戦う時は)『死ぬ覚悟』ぐらいの気合で言うことになります。思いは積もり積もっているので、時系列的に理不尽なことを正当にして、全て確信づいて言うのです。何を言い返されても、過去を引っ張り出して正当に言い返すのです。私が長年蓄積して見てきたことと判断は間違っていない、と自信を持っているから。(しかし理不尽な父親には逆上させるだけ) それでも、本気でぶつけたのは18歳くらいからです。立場が弱いから本当に長年我慢していました。
そんな経緯もあり我慢することが身についています。でも社会に出て働いてみると、ほとんどのことは我慢の範疇で収まることが多いです。そして我慢したままに終わり、次に進む、しょうがないなと思える内容の方が多い。(40歳までは)
しかし、自分の人生に関わることとなると、自分の反論や思いをぶつけることになります。前記で述べたように、私は見下されたりする言葉や態度は非常に敏感です。そして我慢し続けることの方が多いので、溢れてきたときにそういう見下された言葉を立て続けに言われたりすると、人生が終わったぐらいに心が噴火するんです。そういうことが夫との間で起こりました。
つらいです。
我慢していることは当然あります。それでも、うまくやろう、お互い様、感謝だってしてる、こういう心は人並みに持っています。でも、でも、私の性質上、我慢していることは日々あるので、そのうえで癇に障ることを言われると今までの行いが合致してしまい、「もう無理だ、一緒にいるのしんどい」「これからも、この先も死ぬまで我慢し続けないといけなのか」となってしまうのです。そして、思いのたけをぶちまけ、終わりにしたくなるのです。
今、だいぶ落ち着いていますが、何が辛いのかわかったような気がします。
自分でぶちまけた正論で、夫を傷つけたことですね。
我慢できないことを、覚悟をもって言いました。そう言っても、またすぐ同じことの繰り返し。ずっとなんです。そして繰り返すことで、神経が変になりそうでストレスで発狂しそうな時があります。
だから溢れる → ぶちまける → 傷つける → 罪悪感
いつも私が悪い。そんなシナリオになる。
どうしてだろ、私が我慢して我慢して過ごしていることは、巡り巡って罪悪感で「あなた(私)が悪い」となってしまう。なんで、我慢していたことを言った私がこんなに辛い気持ちになるのか。人を傷つけることをしたから悪いのは私。とてつもなく幸せじゃない。つらい気持ちがこみあげてくる。涙が出る。何もかもが嫌。ほんとうに嫌。我慢しつづけても、思ったことを言っても、どっちも何もかも自分が幸せではない。自分の家の問題も抱えてる。なにもかもいや。
どうしようもないですね。この精神疾患は、完全に幼少期の環境からきています。自分でも屈折していて極端になってしまう思考に、生きづらさを感じています。
幸せを感じなくなると死んでもいいかなと思えます。理由はひとそれぞれ。生きていることがよくわかんない。
ここまで書きましたが、まずは改善しながら過ごすことになります。まだ心の中はぐっちゃぐちゃですが、眠って明日にまた頑張っていつも通り過ごします。
死にたい、と思ってもまだ死にません。自分でもわかっています。でもどうしようもない気持ちも、積もり積もってあって、自分の存在もわからなくなります。言ってどうなることもないですが、すこし整理できました。
明日こそリボン展のこと書けたら書きます。
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