2021/11/29

父が亡くなりました

 


先日、父のこととしてブログで書いていましたが、その日の夜に父が亡くなりました。容態は良くないと聞いてはいましたが、その後回復を繰り返して、その日の夜に息を引き取ったそうです。

私にも連絡は入りましたが、会うのが嫌でその日は駆けつけませんでした。
次の日に実家へ行き、いろいろと段取りをしました。


思えば長かった。施設へ入って12年ほど経っていました。
施設へ入ってから私は会っていません。母は「すごく歳をとったよ。もうしゃべれないよ。」と言っていたのもこないだのことでした。それでも私は、自分の意志と長年の恨みやらなんやらで、行くことはできませんでした。

亡くなったことを聞いた時は、不思議とスー―っとなにかが剥がれた感じがしました。悲しいという気持ちよりも、ずっと背負ってきた何かがサラーっと消えていった感じでした。亡くなった日は、兄が家にいたので全て請け負ってくれました。あとから聞いたのですが、兄は父の容態が悪くなった日に病院へ行って会ったそうです。この兄も、私と同様ずっと父とは会っていなかったですが、最後の最後に会いに行ったというのを聞いて驚きました。そしてその後亡くなった。兄なりに親孝行したと思います。そして亡くなったときには母と一緒に行って泣いたそうです。兄にとっては、父は恐怖だったはず。最後に兄に会えた父は嬉しかったと思います。

兄は私とは違う人生を歩んでいますが、幼い頃の思い出は私もよく覚えています。長男なので、父は父なりに兄をすごくかわいがっていたのを知っています。今思えば父なりに、できることをやっていたと私も思い返しました。友達と遊ぶことをすごく大事にしていてみんなでザリガニ取りにいったり、柔道の試合の応援に行ったり、就職をすれば仕事先に頭を下げに行ったりしていたことを覚えています。兄は父のことが怖くて表現ができない子どもで大人になっても不器用でしたが、その思いや心意気はちゃんと伝わっていたんだということがわかりました。そして、私以上の恐怖も経験している。ずっと父のことを苦手で避けていたけど、そんな兄はちゃんと愛情を感じていたということに、私も涙が出ました。

よく思い出してみる。子どもには手を挙げていない。
私は一度だけちょっとあったけど、兄にはあげていないと思う。
その辺の良識はある人間だったし、親として子どもにどうしてあげることがよいのかというプライドみたいなものは、ものすごいある人だった。

酒が好きで、酔うと訳が分からなくなる。これが全てをぶち壊す原因で、神経質なところがあるからやりきれなくなり自分で処理できない弱さがあったんだと、今ならわかる。


私は次の日に家へ行きました。正直、父に会うのが怖かったです。
ドキドキしながらいったけど、案外淡々と段取りをして、葬儀屋さんとお話を詰めて進みました。私はこういう場面で頭をフル回転させ、家族の中できっちりと仕切ることができる人間なのだと思った。自分で言うのもなんですが、しっかりしているんです。不明な点は全て聞いて納得し、解決し、安心して執り行うことができるよう進みました。

父の納棺のとき、12年ぶりに顔を見ました。
当たり前だけど、こんなに月日が経てば顔はこけて歳をとって別人でした。あの、ギラギラした睨みを利かせた感じはまるでなく、安らかに息を引き取った感じがありました。

その時に思ったんです。
父も不幸だったよなと。私からすると、何て父親だと思っていることが先行され、他の家庭の父親と比べ、自分はなんでこんな家庭で育ったんだと恨みましたが、その時にようやくとわかったことがあります。それは、私の父は、父親というものを知らないということです。私の祖父(父の父)は、父が4歳の時に亡くなっています。なのであまり記憶がないのです。家庭的には裕福だったので自由奔放に育ちあんなに気性の激しい性格になってしまいましたが、実際は『父親』というものをよく知らないんだと。
そのことを想うと、一概に責めることはできないと、複雑な気持ちになりました。わからないなりに、懸命にやっていたのかもしれない、、、、。それに尽きるのです。そう思うと心が苦しくなりました。

人間というのは、すべてが完ぺきなわけではない。私達家族は、私たちなりの生き方と関わり方で、今までやってきたんだと、それは比べるものではないと納得できるんです。


周りと比べてきた私の考えは、間違ってはいないけれど、今思うのは比べてなんぼなそういうことではなかったし、実際はどうしようもなかったんだと、今終わりがきたことで、すべてを許せる気持ちになれました。そして、父には「今までありがとう」と言うことができました。

ほんとうに、憎んだし、嫌いでした。でも亡くなってその人生に思いを馳せると、そういう運命でそういう生き方しかできなかったんだと、今の私は理解できるし、すべてを許し恨みや憎しみはなくしてすべてを開放できたことに、自分自身も許そうと思えます。

私は親不孝かもしれませんが、父が亡くなってようやくと出た答えです。
仕事を退職まで勤めあげ、私を学校へ行かせて卒業させてくれたこと、習い事をさせてくれたこと、裕福ではないけれど不自由なく生活させてくれたことに感謝します。

私達家族にしかわからない。ほんとうに辛かったです。でも、今こんなふうに父のことを思えることが、私にとっての親孝行でもあります。憎んだままではなかったことが私にも救いになった。ほんとう家族って不思議です。


まだ日が浅いので思い出したりしますが、これからも生きていくために頑張ることは続けます。おそらく今後は母の問題が来ると思いますが、それもなるようになっていくんだと思います。母は父を最後まで面倒見て本当によくやったと思います。うちの家族はめちゃくちゃでしたが、それぞれのできる役割の中でやっていたなと思います。それは、やはり一人ではできなかったし私達3人でやっていたんだと、今ならわかります。私も今は兄に感謝しています。いろいろとやってくれたことがあって、兄なりに頑張ってくれたことに感謝です。

よくわからないけど、私たち家族は優しい人間だということは確かです(笑)
頭は悪く、不器用で表現下手ではありましたが、心は善人で思いやりのある人間だと、私は今回父が亡くなったことで、母と兄に対して思いました。

ほんと不思議です。背負っていたものが降りて、抱えていた辛かったものがなくなった。今思い出すのは、いい思い出だけ。不思議です。生きていた時は、苦しくて辛い思い出ばかりが込み上げてきていたんですから。それが消えて今はいいものばかりになりました。

そんなふうに思える日がくるなんて。不思議ですね。


形見となった父の時計です。もう30年?以上前に買ったと思います。当時6万円したと思います。
明日、電池入れてもらおうと思います。動くかな?

時は流れます。なんとなく、これからは少し楽に生きていけるような気がします。
明日からもがんばるぞ。

ではでは。




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