2021/06/19

親との関係が嫌、それが鬱(長文)




真面目に生きてきた反動が、44歳にして現れる。

これが私の鬱。
そう確信しています。

ここんところ親が嫌で、心の中で消し去っても湧き出てくる感じがあり根深さを感じます。

子どもの頃に、自分の心を押しつぶされ押さえつけられて育った経験上、反抗期というものはなく、迷惑をかけない子で近所にも愛想のいい本当にいい子でした。なぜなら母親が、父親に今でいうモラハラを受けて『可哀そうな立場』みたいなものを見せつけられ、そしてずっとその光景を見て育ったため、自然と洗脳を受けて、母親には迷惑をかけないいい子できてしまったようです。

父は酒にだらしないので毎晩酔い、母に絡んでくると始まります。汚い言葉と最低なニュアンスの言葉をブチかまします。本当に見下した汚い言葉です。永遠と言い続け怒鳴り続け、ヒートアップしてきます。そしてひどい時は、茶ぶ台を腕でガッとやり食器や料理をひっくり返すのです。当然食器は割れますし、料理が絨毯にしみ込みます。その一部始終を見ている私は(幼いころから見ています)、片付けを手伝います。母は黙ったままです。可哀そうな母をずっと見続けてきたわけです。もっと酷いこともありますが、まだ言えません。

そういう時は兄は必ず家におらず逃げています。見ないようにすることが(関わらないようにすることが)身についているのです。だから知らないことになるのです。でも私は母が心配で、こういうことが始まると必ず自分の部屋から出て、父のやっていることを見届けていました。ずっとです。小学生の時から23くらいまでです。短大だったので2年間は家を出ていましたから、その間はいません。しかし卒業してから家に戻り、2~3年は変わらず同じことが繰り返されていました。しかも、父は退職したので朝から酒を飲み暴れる始末でした。

そんな日常で、本当につらい毎日でした。私は昭和の生まれではあるけれど、周りの友達の父親は本当に優しく、普通の気性で朝からお酒を飲んで暴れているなんていう父親は一人もいなくて、本当にごく普通の人間、、、、ということが羨ましかったことと、なぜうちの親は普通ではないんだろうかと、実情を隠し通すことがすごく大変なことでした。

本当によく耐えたと思います。母は自立ができない、いわゆる人に何とかしてもらおうとするタイプなんだと、今更ながらわかってきました。もう何年も何年も、この生活を続けてきて私もいい大人になったところで『常識』というものがわかってきました。22~23歳の時には一緒に家を出ようと提案しましたが、2~3週間親戚の家へ逃げただけでした。こんなことを繰り返すだけで、母は行動に出ないし計画的にも何もしないのです。ただ、自分は可哀そうなヒロインで人に助けてもらいながらなんとかまた元に戻る。そしてまたひどい目に合えば助けを求めて、またおちついたら戻る。そんな繰り返しです。そのたびに私が巻き込まれます。いつも私です。娘だから。一番は母を想って守ってきましたからね。本当にもう駄目だと思ったときは、別に部屋を借りて家具もすべて準備しました。別れると思ってたから。その時は私も覚悟をして「自分が面倒を見る」と決意しました。しかし、また父の元へ戻っていくのです。そして半年もしないうちに、また逃げてくるのです。そのたびに私のところへ来る。

ずっとその繰り返しでした。
私はすでに、家を出て父とは縁を切ると言って出たのです。その時は23歳だったと思います。母も捨てて出ると言いました。もう嫌だと言って。
そのときは母何と言ったか、、。 「嫌だ、出ていかないで、、。嫌だ。」と泣きべそかきながら言ったのです。はっきり言って収入も大したない、たかだか23歳の子娘が出ていくことに(その時の現状をどう考えていたのか)すがるように言うのです。

今思えば、自分のそばに置いておきたい、、、そういう理由なんですよね。
私がどれだけ嫌だったかということは考えていない、自分のそばにいてほしいがためのすがりで、ひきとめる、、、。今思えば、自分を守らせるための道具でしかなかったんじゃないかと思う。うちの母は何の悪気もなくそういことができる人なんです。5人兄弟の末子で、とてもしっかりした姉がいていつも面倒を見てもらいながら育ったという経緯が浮き彫りです。なんて言うか、『責任を持つ』ということがない人生を送ってきていたと思います。人に幸せにしてもらう、ということをひたすら望んで自分は自立しない、というスタンスが悪気なく出来上がったんだと思います。すべて何時も、姉と兄に守られて生きてきた、、、ということが、ここにきてわかったように思うのです。


そういう母親であることに、自分が2回目の鬱になったときに気が付いたのです。子どもの頃からの、母の教育力のなさと自立心のなさが「私を苦しめてきたんじゃないか」とおもうようになったのです。

私が家を出たことで、ようやくと自分の人生を本気で考えるようになり、教員になることを決めました。それからです、本気で勉強ができたのは。いつも父親の怒鳴り声が始まるので、私は側へ行って見守ります。その間は生きた心地がしません。もしかしたら殺されるかもと思うこともあります。そしてだいたい終わるのは23時くらいだったりするので、それから勉強するのは大変です。ほぼ毎日のことなので、そうして落ち着かない精神が宿るのです。これは今では正式な虐待に当たります。私も教員をやっていましたし、そういう虐待を受けている子どもについて何度も勉強しました。虐待を受けている子どもは、中東の戦争が起きている地域の子どもと似ていて、いつ爆弾が落ちてくるかわからない状況で生活してる子どもと同じ精神らしく、行動と精神が落ち着かない。集中力に欠ける子どもになるらしいです。常に生きるか死ぬかの精神でいる状態。

私は家にいる時がその状態だった。それを教えてくれた先生の話は、私の幼少期をなぞるように話していて、嫌な記憶をなぞりました。

それくらいでしょうか、、、。鬱になり始めたのは。
そうなんです。私が教員になって、虐待についての勉強をし始めた1年目くらいから、自分の今までの人生と向き合うことになってしまったのです。そして学べば学ぶほど、自分に当てはまっていってしまう。気分的におかしくなっていきましたね。付け加えて、一緒に働く仲間としては悪な教員もいたりしたので、精神はその頃からほんとうに変になっていた、、、というか白黒はっきりしていた。

現在、父は倒れて施設でお世話になっている。だから母は精神的には楽なはず。しかし、年金生活で施設料を払い、経済的に厳しい状況。そこで今度は、金銭的に私にすがる。私は一応公務員だから少なからず多少の支援をせざるを得ない。何年かしていました。

しかし私が鬱になり入院。1回目は多少の心配。だけど仕事を辞めることは危惧していない。私のことを美化しているから(しっかりしているいい子と思っているから)、内心はたいした心配はしていない。そして私は自力で職場復活。母は同じような対応で能天気。

2回目の入院は夫しかしらず。そして休職。
母は、大した琴線に触れず知らん顔でいつもどおり。また私がしっかりしているから復活すると安易に思っている。ほんとは仕事を辞めると支援を受けられなくなるし、娘が教員であることの誇りもなくなるから嫌なんだと思うから、当たらず触らず。はっきり言って、私へのケアする言葉がけなんて何にもない。自分の面倒を見てもらうことばかりで呆れる。私が休職中なのをいいことに、仕事が休みだと思って都合よく「悪いね」と口だけで偽善的に用事に使う。本当は外に出たくないのに、なにも私のことなど理解していなく、自分の面倒は見てもらおうとする。
このときによくわかった。やっとわかった。結局は自分のこと。あの時と一緒じゃないか。自分のそばに私を置いて、面倒を見てもらおうとする依存してくる生き方。私がどんな状況なのか、どんな精神でいるのか、、、なぜ考えない。

こんな親だったということ。別のところでは、自分は健康な身体で生まれご飯もちゃんと食べられたことには感謝する。でも44にして気づく。悪気が全くなく、私の思いや気持ちを踏みにじってきた母親が今はしんどい。なんで、ずっと子どものころから母のために自分を犠牲にしてきた私が、今もなお犠牲にしなければならないの? 私を一度でも楽にしてくれたことがあった? 自分ばかり年取ったからって楽になろうとしないで。私に人生を背負わせないで、、、と思うのです。

ずっと父親がネックだと思っていたのが、思わぬところで母親がしんどかったんだと気づいてしまったんです。考えてみれば、ずっと母親に洗脳され振り回されていたんだなと思います。私の言うことなんて聞いたことがない。そのくせ困ったときはすがりつく。私を縦に何かを言わせる、、、など、自分でできないくせに私をよく使っていたなと、思い返されます。本人は全く悪気のない、そう育ってきた無邪気で素直な人間ですけどね。

なので、はっきり言って辛い。両方の面で。縁を切りたいくらい。でも可哀そうな人、というところで『親』というしがらみが、私を悪にできない気にする。だから辛い。

最近、こういう親子の関係の記事をよく見ます。
みんな辛いんだよね。普通のいい家庭に育った人が、本当に羨ましい。そういう人って優しいんですよね。なんか親との関係がいい人って、心が汚れていない精神の人が多い気がする。私の知っている人はだいたいそう。(あくまで知り合い)

すっごく頑張ってきた人生なんだけど、どうしてか搾取されていくような人生に感じ、生きている意味を感じなくなっていくんですよね。ふっと思うんです。私早死にするかなーって。はっきり言って、親よりも苦労して自立して人に迷惑かけずに、これからの老後にも備えながら必死で勉強しながら生きているのに、なんでその頑張りを普通に自分に向けさせようとするの? 都合よすぎでしょ。人の努力を何だと思っているの? 子どもは旅に出させてなんぼでしょ。親孝行させるために、子どもって生まれてくるの? 変なこと言っているかも知れないけど、愛情を一杯もらって育った人は、たっぷり返す分もあると思う。でも、子どもの頃からあげ続けていた人は枯渇するよ。子どもの頃からだよ。もらってきたものより出し続けている方が多いんだから、なくなって当然でしょ。

むずかしいね。
私がこんなになったのも、私のせいなの? 変えようと努力してきたけどね。自分が鬱になっちゃってから、原因をかんがえるようになったよ。そうしたら、自分の家庭環境が発端で、そこから派生していたよ。何をどう考えても、嫌な思い出が湧き出てきてしまう。

そんなどうしようもない思いの日があります。
長い文になってしまいました。これが私の鬱。周りの人間も夫も全てが嫌になる原因。人間は親しくなると嫌な面ばかり。自分もそうなのに、相手がすごく嫌になり一人の方がいいと思ってしまうんですよね。

ほんと、優しい人間になりたいです。

ちょっと毒っぽい話になりました。今日はそういう気分でした。
読んでくれている人いたらすいません。こんなこと話せるの、カウンセリングの先生くらいです(笑) こんなふうに書いたけど、母は私にとっては見捨てられない人なんだと思います。そういうことです。

はー、頑張るしかないですね。でも頑張らないでいきます。
おー、外はすごい雨☔ 
とりあえず、これはこれで洗い流そう。そして晴れの日へ向けて、また1歩前進します。







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